40過ぎたおっさんが貯蓄ゼロからFIREする過程

ポイ活とパチスロで副収入を得て毎月25万円以上投資してFIREを目指します。節約術やお得な情報、初心者でもパチスロや株式投資で稼ぐ考え方・毎月の収支報告・オススメ銘柄を記載していきます。

②小中学校時代

クラスでも足が遅くて、昼休みに『つき鬼』をすればチャイムがなるまでずっと鬼。勉強も出来ないし宿題やってこない。忘れ物多い。教室の自分の机の中には数日前の給食ででたパンがある。言ってみれば、クラスでも嫌われる・からかわれるタイプのイケてない小学生だった。

でも、中学校で転機が訪れる。バスケットを始めたのだ。当時は『スラムダンク』という漫画が大流行でバスケットが凄い人気だった。部活を決める体験入部でも大勢の生徒が参加していた。だが、自分はバスケットが好きだったわけではない。当時テレビで日本代表の試合がよくやってたバレーボールがしたかった。私は身体能力は最低レベルだが小手先の器用さは何故かあってバレーボールは自分には合っていたと感じた。ただ自分の中学校にはバレーボール部はなくて、同じ『バ』の付くバスケットが似てると思ったからバスケを選んだ。
そんな運動音痴な自分が多くの仮入部者と一緒に参加している。もちろん、自分が一番下手くそだった。ただ、このバスケット部の顧問の先生のあだ名が『瞬間湯沸かし器』と言われるほど厳しくよく殴られた。今では問題になりそうだが当時は当たり前の時代かな。まあそんな顧問なので体験入部で辞退する生徒ばかりでほぼ皆辞めて残ったのは運動神経が良いメンバー。で、そこに自分が居る。何故かって、私は情けない男で勇気がなくて、やっぱり入部しませんって言えなかった。それで厳しいバスケット部に入ってしまった。クラスメイトからも、運動音痴な自分はすぐに退部すると皆が思ってた。でも自分は辞めなかった。3年間誰よりも練習に出てキャプテンになって取り組んだ。いやいや、正直に言うと退部する勇気がなかったし、同級生みたいに塾とか嘘ついてサボる勇気がなかっただけだ。勇気がないから練習に出たし辞めれなかった。まあ理由はどうあれそんな厳しい環境に居るとクラス1の運動音痴もそこそこの身体機能を手に入れるものだ。まあ私のプレイスタイルは、わざとファール貰ったりトリッキーで、意表を付くプレイではあるが。小中学校の9年は同じメンツの学生だったから、小学生時代の自分を知っている皆は、私イコールバスケットで変わった  って印象が強い。まあそれでも市内で5番手位の中堅の中学だったが、高校でも勿論バスケを続けようと思っていた。
ただ、中学3年の引退が近づいた頃から、少し動くと吐き気がするようになっていた。病院にも行ったが原因不明らしい。〔のちに咳喘息?と診断〕少し動くと辛いが水分を多く取ると少しはマシで何とか引退までは誤魔化しでプレイ出来ていた。ただやたら水分を取るため、私の周りは汗で水たまりになっていた。ちょっと動くと吐き気がするのは日に日に酷くなってきた。そんな中、中学校を卒業する。